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 中原小学校の校名にある「中原」は、明治31年に林、原田、中神の三小学校の合併によって、中原尋常小学校となったことに由来するものです。
 今でも校区には、その由来となった三校の記念碑が、それぞれの場所にひっそりと立っています。ここでは、中原小学校のルーツともいうべき三校について、お伝えします。

■ 中神小学校 :中神町字石坂
 この学校は、明治8年、当時の中神村に設立された学校である。
創立以来、何年続いたかは不明であり、所在地もさだかではないが、中神町字石坂(現在の東門付近)と推定されるので、ここに○柱が立てられている。
 なお、明治22年3月付の代業証書や交代諸引渡目録、学校用教科書等に中神小学校の校名がみられる。
当校については、生存者の方で記憶されている方がなく、資料も少ないため、不明な点が多い。

【記念碑に添えられた解説文より】

■ 原田小学校 :下原田町字嵯峨里
 この学校は、明治8年に創立された学校であり、明治の初期に愛甲○○といわれる不動尊を信仰される方が営んでおられた寺子屋が昇格したものである。

 先生は、初代教師になられ、私財を投げ打って子弟の教育に努められた。明治13年の後期に、現在の下原田町字嵯峨里に新築され、明治31年3月まで続いた。当時は学校にいくのは、自由で、学年は4年生までであった。学級は、3学年を1学級とする複式学級で、がき方、ソロバン、○○が学習の中心であった。

 写真は左が初期の愛甲学校跡。右が後期の嵯峨里校舎跡である。
                                         【記念碑に添えられた解説文より】
 

■ 林小学校 :林地区
 この学校は、明治8年、林村が薩摩瀬村から分離した時、当村にあった高千穂小学校から移転して開設されたものといわれている。

 なお、当時の生徒数は、男57名、女43名で、蓑田○○先生や勝間田岩見先生が教育活動に従事しておられた。

 明治31年、林、原田、中神の三小学校の合併によって、中原尋常小学校が建築されるまで、この学校の教育活動は続けられた。

 学校の運営は、三ヶ村選出の学務委員がいて、一切の業務をつかさどっていた。


            【記念碑に添えられた解説文より】

■ 中原小学校 旧校舎
 昭和49年まで使用されていた旧校舎。
 撮影年月日は不明。

■ 中原小学校 新校舎 建設当時 
 現在のC棟校舎が新築された当時の写真。昭和58年 夏ごろの撮影であると推察される。