![]() 入院3カ月目 |
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病気になって1年半になります。発症前は、仕事のことや家庭のことはHPにできるだけ掲載をせず、楽しい 趣味の詩と写真とバイクと釣りなど友人との楽しい時間を紹介してきました。 発症時、仕事も家庭もアウトドアの趣味も大きく揺り動かしている病気を恨んで悔やんで立ち直れなかった 時があり、HPはやめようと思った日もありました。いいやHPなど眼中になかったのです。今は精神的に立ち直 り2007年1月よりHPの運営を再開しております。 バイクや釣りの体を動かすページの行数は増えないでしょうが、新たに「和風のページ」を造り少し凝った 物造りを紹介しています。バイク好きのリピーターが減っていくのは仕方がないですね。 もうすぐ退院から1年経とうとしている今、皆ににもらった言葉や気持ちと体験をここに書いておきたいと 思った次第です。 国語力も乏しい拙文ですが、暇な時にご笑覧ください。 2007年12月吉日
(私生活・介護・仕事など) 2006年7月、朝夜の日課は40回の腕立て伏せであった。もう1年半の継続だ。最初は記録を目指 し、2ヶ月ほどで70回を超えた。かなりきつい。待てよ俺は何をしているんだ。もう53歳じゃないか。 頑張ってる?腹筋が出てきた?胸筋がでてきた?無理してる。そう思って40回に減らして継続した。 それでも自己満足。 私は年老いた父母を近くで看るために東京の本社を離れ、郷里と近くに単身赴任をした。あぁもう7年 経っていたんだ。7年間の単身赴任の生活は良かった。色々なアウトドアを体験し、夢中になった。 それも終わりが来たのか。月に1回の頻度で郷里に帰ってやり他はアウトドアの世界を満喫していた。 仕事は部下40名の営業所長から私が発症時は部下160名の支店長をやらせてもらっていた。 4営業所のうち2営業所が所長不在で私が兼務である。 メールも1日に70通を超えていた。 そんな時である、父が倒れたのは。 88歳「米寿」になった父のお祝いをやってあげ、父の誕生日が過ぎて間もなく父が胸の病気で苦しん で意識不明になった。 2日目に意識を戻したときは明らかに「認知症」であった。2005年であった。 あの父が、あの地域のお寺の総代や民生委員などの7役を務めたあの父が、記憶の連続性がなくなり、 昨日が30年前だったり50年前だったりするのである。認知症の父を見てると尊厳とは何なのか。どこ へ行ったのか。考えさせる。 残った母もその時86歳で一人暮らしは大変だった。 私は週末に片道3時間の郷里へ帰える日が続いた。 週に2回2時間かけて父のパジャマを取りに行く。3日間のパジャマや下着は4着以上だ。 水曜日17時に会社を出て高速道路を片道2時間かけて往復して持ってきたら洗濯し部屋の中で乾かす。 週末はそれに母の様子を見に郷里へ足を伸ばす。これが12月から3月まで続き、4月からグループホー ムへ父をいれてホッとした。しかし週末の3時間弱の母の郷里帰りは続いた。 暫らくアウトドアは休みだ。これも人生。私もまだ若い。大丈夫だよ。と思っていた。 (倒れる) 2006年7月6日22時頃、私は自宅で発症した。左被殻出血のための右半身の完全麻痺だった。 最初は自分に何が起きたのか解らなかった。両足が空を歩いているよう。立ちくらみでもない。 自分が経験のないめまいだ。誰かを呼ばなきゃ。玄関の内鍵を開けなきゃ。玄関の外灯を点けなきゃ。 風呂やトイレは汚くないか。そしてそれらを済ませた。ものの1、2分だろう。もうろうの中で。 机の上の携帯を取って電話するときは、フロアへ座り込み、横たわった。この頃右半身まひが始まって いた。自分に何が起こっているのか、解らないまま横たわって電話をした。 しかし電話ができないのである。俺は何やっているんだろう。落ち着け、落ち着け。 かなりミスした挙句、あいうえお順に電話番号を表示し続けた。近くの部下を探した。2人ほど部下の 名を見落とし、やっと一人の名前が見つかり、電話ができた。 「きくちだ。具合が悪い、冗談じゃないんだ、助けてくれ、・・・」 これを言った。「助けてくれ」は、普段は使わないので、分かってくれ。来てほしい。 そうだ、もう一人電話しておこうと横たわりながら片手で操作するが、もう携帯が使えない。 もう頭がどうかしてしまったんだ。そう言えば、さっき電話した時は呂律(ろれつ)が回らなかった。 あとの頼みは最初に電話できた1人だけだ・・・。来てくれ・・・来てくれ。 来てくれた。
何で俺が選ばれたんだ。仕事も頑張ってるつもりだ。親孝行してるぞ。食事も気をつけてるぞ。 運動もしているぞ。脳梗塞を心配し健康管理していたら脳内出血かよ。このサラサラ血液が悪いのかよ。 なんで俺なんだ? 納得できない、納得できない、何がわるいのか? 医師は「原因は解りません」、「そうですか」。じゃ、誰が教えてくれるんだ?何で俺が選ばれてたんだ。 私があまりにも落ち込み、あまりにも言語障害がひどいので部下が社内と社外にも緘口令(かんこうれい) をひいたようだ。「あんな支店長を見せられない」「見舞いに行かないでください。用事はこちらから伝え ますので」と。これは良かったかも知れない。 発症後しばらくは、なんで?を自分の中で繰り返し答えが見つからず泣いた。腕が少し動いたら看護師さ んを呼んで嬉しくて泣いて、思った様に動かないとみじめさに悔し泣きをした。見舞に来てくれた仲間には 「すまん仕事を応援できなくてすまん。」と言っては泣いた。緘口令は約1か月続いた。 きっとそこには、見苦しい恥ずかしい自分が居たと思う。 後に考えて見ると会社が忙しい時、父母の養護で忙しさが上乗せになっても、私は重荷と思わずにいた。 若いと思って無理を無理とは考えなかった。 腕立て伏せ40回なんてこの年で筋トレなんてやるからだ。脳出血の直前に腕立て伏せしてたかどうか記憶に はないが。ましてやストレスなんか私には無縁だ。無い。そう思いこんでストレスケアなんて思っても見な かった。そんな、こんなが原因なんだろうか?。 もう今となっては、推測の域を出ない。
「いいじゃないですか。助かったじゃないですか」部下の言葉だ。「具合が悪くて電話しようと思ったで しょ。そのまま眠らずにいたでしょ。1人に電話できたんでしょ。来てくれたでしょ。」そうだ、それらの 偶然と可能性と連絡できた確率の中で私は、生きているんだ。生かされているんだ。 「(誰かが)生きなさいって言ってるんですよ」「そしてしばらく休みなさいって」こいつ生意気な事を言 ってるなぁ。でも当たっているなぁ。良いこと言う。 もしあの時、気分悪いから寝ようって寝てしまっていたら。もし一人にも電話できなかったら。もしその まま昏睡状態になっていたら。 私はもっとひどいか、死んでいただろう。 翌日金曜日は先輩社員の定年お別れゴルフを予定していた。「あいつすっぽかしたなあ!」で終わって いたかもしれない。 土日は郷里へ行っているのをみんな知っている。私から連絡なくても誰も不思議がらない。母は「今週は 忙しくて帰ってこないんだ」と思って済んでしまい、週末は誰もさがさない。 週が明けて、月曜日は朝から東京の本社へ出張の予定だった。「あの人は会議は欠席だ」で済んでしっま てたかもしれない。 すると、金、土、日、月、火、水曜日あたりに誰かが「連絡取れない」って騒ぎ出す事態になっていた。 新聞の見出しが『単身赴任の男性、孤独死』とあるかも知れない。 「いいじゃないですか。助かったじゃないですか」部下の言葉だ。 私は生きています。まだ死ぬなって(誰かに)言われています。やることがいっぱいありそうな気がする。 いつしか、マイナス思考からプラス思考へだんだん変わりつつあった。ありがとう。
「手はどげんしたっかい?」まひが残る手を見てどうしたのかと父が尋ねた。『寿』と書かれた大きな 座布団をベットに置くと気持ち良さそうにベッドに座ったまま座布団に身をあずけている。 行儀よく腰掛けているよりも寄りかかった方が楽のようだ。父がいるグループホームへ月に何度か面会 にいく。母も体調が良ければ一緒に行くし面会するのを楽しみにしているようだ。私はいつもベッドの足 側へ父と並ぶように腰掛ける。 座布団に預けていた首をもたげて「手はどげんしたっかい?」と今日も聞いてきた。認知症の顕著な症 状だ。私も最初は認知症の特徴とわかっていても同じことを何度も説明することが苦痛だった。言語障害 も残っている。 「脳出血をして・・・右手はね・・・右足はね・・・言葉も・・・たい。」いつもと同じことを説明し た。「聞きにくっかろうけど分かった?」寿座布団の上でやせた顔がうんうんと頷き「なしや?」とまた 尋ねる。「なしか、自分にもわからんと」。 父の左目と見えなくなった右目が一緒に空を仰ぐ。天を見て何を思っているんだろう。 しばらくすると目が乾いたのかしきりに目を瞬きした。そしてしばらくするとポソリと「のさりたい・ ・・」と 寂しそうに言った。 『のさり』。この言葉は、父の口癖で出来事に逆らったり、出来事に悔やんだりすると「のさりだいけ ん」とよく言っていた。「決まっていたんだ」「変わらないんだ」「さずけられたんだ」と言う意味で言 っていた。父は、私にこの3文字「のさり」で今回の出来事を、受け止めなさいと言っている。 そうか、そうだよなあ。・・・。 のさりなのかぁ。 私は発症時、誰かに疑問をぶつけ、悲しみ悔しさに泣いた。 決まっていたのだ、どうしようもなかったんだ、受け入れるしかないのだね。 ありがとなぁ。
「おはよ、ヒロコおばさん、早やかねぇ」。区長さんの奥さんはもう70歳になった。「陽ん、照らんう ちに、がまだしとかんと暑つぅなるけんなぁ」。涼しいうちにと早くから畑の草取りをしていたようだ。ヒ ロコおばさんは働き者で「独りゴチ」を言いながらせっせといつも働いている。私は日陰でよく話を聞くの が好きでこの日もとりとめのない話から聞いていた。 いつも朝は、あれをやらなきゃ、これも手を付けなきゃ、と畑のやることがいくつもあって気にしている そうだ。しかし気にしてるだけでは何も変わらず翌朝になってしまうと言っている。「思とることは自分し きゃ知らんけん、誰ーれもしてくれんと。言ってもしてくれんとに、わははは」 確かに・・・。 朝起きて、今日のリハビリは何をしなければあれをしなければと考えていて、つい不十分なまま一日が過 ぎてしまっている。リハビリに限らず「やらなきゃ」と思ったことは代わりに誰かがやってくれるわけがな いよなぁ。 言ってもご主人が腰が重くてすぐやってくれない事を「わははは・・・」と笑って、そんなもんだよと落 ちがつく。よし、思うだけでなく一日ひとつ行動に移してみよう。「ひとつ」ができなきゃ半分でもいいや。 なぁヒロコおばさん、ありがとう。
「皆さん、今日は『泣かずに笑顔で皆さんにお会いするんだ』と決心してきました。・・・」これまで退 院後に一番遠くへの外出も病院までで10kmもない距離でした。退院から1年経過してバイク仲間や飲み 仲間へ「皆に会いたい」「忘年会の機会に行こう」と思うようになりました。、高速道路を使ってH市まで 2時間かかります。今まで何度か会いに来てくれたK夫妻が「行くばい迎えにくっで」と親切にも送り迎え をしてもらい私の夢が実現しました。 40人くらい居たでしょうか、もう忘年会は始まっていて皆の笑顔、笑顔、笑顔。初顔の新人さんもちら ほら見えます。嬉しい。歯を食いしばり涙はぐっと我慢!して座ると「一言挨拶をお願いしま〜す」と「い いよ、何だよ、考えて無かばい。」断っても許してくれそうも無い仲間だもの、しぶしぶ立ち上って「皆さ ん、こんばんは・・・」挨拶を取りとめなく始めていると挨拶中に後ろがザワザワ、レディースがザワザワ としている。挨拶はほどほどに首にも何かをかけられた。 実はレディースの人達が横断幕とたすきを準備してくれて、幕には『きくちさん おかえりなさい』の大 文字に皆のメッセージがいっぱい書いてありました。レディースのKISSマークまで・・・。嬉しい、こんな にも復帰を祝ってくれて嬉しい。でも今日は涙は見せないんだ。パン、パーンと爆竹で新らためた乾杯に目 頭がグッときた。うっ我慢だ。やはり、行って良かった。皆と会えて良かった。楽しくて3時間もあっとい う間に終わった。『いつもと同じパターンの宴会』って言っていたがいつもと同じ事が幸せなのだと感じる。 その夜はK夫妻のお宅にお世話になり、翌日家また送って頂いた。感謝!。 母に忘年会の出来事を話した。母も楽しそうに聞いていたが、私がもらってきた横断幕を広げて説明を始 めると、母は書いてある文字を「・お・か・え・り・な・さ・い」とゆっくり読んで泣き出してしまったで はないか。私は母の突然の泣き出しに驚いてしまった。『おかえりなさい』の言葉の中にどんなにか多くの 意味が凝縮されてる事だろう。88歳の母は何かの意味を感じ取り泣いてくれた。 私は今まできつく縛っていた涙袋のひもが母の涙でプチっと切れて一気に流れ出してしまったではないか。 ああ、我慢してたのに・・・。生きて帰ってきた事の素晴らしさを『おかえりなさい』の言葉で教えてくれ たんだ。きっと私は泣きたかったんだ。嬉しかったもの。我慢などしてバカだなあ。 仲間たちへ心から言いたい。 ありがとう。
母は、誰かがそばに居ると独り言のような、会話をしてるような、私の感覚だと不思議な時間を持った人だ。 「何で?」と聞くと「頭の中に浮かんだ事が口から出ると。」とのこと。確かにとりとめのない昔の話など 何度も聞かされているし、話の途中で尻切れになったりする。話が自然と停止した時は、どこかの世界に行っ ているのだろう。 そんな取りとめのない会話の中で、私は「ん?!」と意味を探りながら耳を傾けてしまった。そして「聞く」 から「聴く」になっていた。 「何も逆らったらつまらん(だめ) 焦ったらつまらん 無理しちゃつまらん なるようになっとるんだけん 無理をしたら 何んかがうまくいかん ちゃあんと そげんなるごつなってるんだから 自然にしとかにゃ・ ・ ・ 不思議かねえ。」 独り言とも 諭しているとも わからない88歳の母のつぶやきに私は「ん?!」と意味を探りながら耳を 傾けてしまった。そして胸の中で暖かいその言葉がポワ〜ンと広がった。 日を新らためて母にその言葉の内容や意味を訊ねてみた。その意味は、・ ・ ・ 「しょせん、人間がやるこつ(事)。肝心なこつは神様か仏様か、人間以上の何かが、決めて動かしとると。 無理するこつは、何にもならん。そがん思もて生きてきたと。一番良かごたある。」 神がかりの話はさて置いても、割り切り方、自分を窮地から乗り越えさせてくれる何かが、そんな考え方の 中にあるように思える。無理はするな。と言われていたんだ。うん解ったよ。 ありがとネ。 続く・・・