人吉市は、県南部人吉盆地の西南に位置し、標高105.3m日本三急流の1つ球磨川が市の中心を貫通している。鎌倉時代以来、中世から近世にわたる700年もの間、相良氏の城下町として栄え、昭和3年温泉湧出の後、県下3番目の市として南九州でも特異な趣のある観光都市であり、人口37、758人(平成17年3月末現在)の町である。
その中にあって人吉市立人吉東小学校は、人吉市の東北部に位置し、校区は、球磨川をはさんで、南部に人吉城址、市役所、裁判所、税務署などの都市の主要な官庁街。北部は旅館、商店街を中心として住宅地、田園地帯と続き、中心部の大半を占めている。
本校は、明治8年4月13日、球磨郡大村字舟場334番地に「舟場小学校」として誕生した。明治10年兵火のため一部を消失したが直ちに増築し、人吉市河北及び大村の組合学校として明治24年に至るまで漸次拡充を続けた。明治25年、小学校令第33条の趣旨により人吉町川北及び大村組合学校となり「舟場尋常小学校」と称する。明治31年12月には火災により校舎14坪を消失したが、32年1月には授業を再開。明治40年1月人吉町大村学校組合を解き人吉町立「人吉尋常小学校」と改称。明治40年3月には2カ年程度の高等科を併置したが41年4月に高等科を廃し尋常科6学年編成となった。その後教育の普及と児童の増加により、校地校舎が狭隘となったため、大正2年8月現在地の人吉町内七日町に校舎を新築移転している。大正4年4月に高等小学校を併置し、「人吉尋常高等小学校」と改称。昭和8年4月30日に人吉町と大村と合併し、「人吉東尋常高等小学校」と改称した。昭和16年4月1日には国民学校令が公布され「球磨郡人吉東国民学校」と改称。昭和17年2月1日には、人吉市制執行のため「人吉市立人吉東国民学校」と改称。昭和17年5月早朝火災に罹り、旧講堂並びに本館2階校舎一棟を焼失。昭和22年3月31日に新学制改革により「人吉市立人吉東小学校」と改称し現在に至っている。
市街地にありながら、騒音の悩みも無く、自然の景観に恵まれ、正面に人吉城跡を望み、球磨川下りの発船場も間近にあり、地域の素材も豊富で、教科等の学習に生きた教材として活用できる恵まれた環境にある。現在児童数627名(平成18年5月1日現在)で、本郡市でもっとも規模の大きい小学校である。保護者は、会社員、公務員、商業、工業、農業と種々の職業に従事している。近年、本校区の商店街は空洞化が目立ち、少子化・核家族化の影響もあり児童数は減少傾向にある。児童は大変明るく素直で学習意欲も高い。その反面、指示待ちの児童が多く見られ、根気強く取り組もうとする児童は少ない。保護者は、学校教育に熱心で、特に学校行事やPTAの諸活動には積極的な協力が得られる。また、最近は児童の健全育成に対する関心が高まり、地域の宝である子どもを守るため、地域パトロール隊の編成等も積極的に行われている。
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